生きとし生けるモノ

感想を自分の言葉でかいています。

宝くじバイトを4年近くやった結果。一番の高額当選者はなんと!

f:id:alumi-num:20200330004915p:plain

宝くじ販売所


昔、宝くじ販売をしていました。

ぴちぴちの20代です。宝くじ売り場のボックスって狭いですよね。

しかも一人。そして私が販売していた場所はトイレがついていました。

それが決め手でした。

潰瘍性大腸炎を患っていたので、がっつり悪い時は血便のみでした(笑)そして続く微熱。

この時期は再燃性が高くヤバかったので、立たずにできる。トイレに行ける。それが一番良かったです。

私にはあってたんですが、パートでは生活ができなくなってきたので辞めました。

そこでのお話です。

 

宝くじ購入はギャンブルだが日々の日課

お客さんはほぼ毎日来る常連さんが多かったです。雨の日も風の日も雪の日も暑くて苦しい日も毎日いらっしゃります。

あるおじさまはパチンコ屋に行って、近くでランチを食べて、宝くじを買う。そしてたまに私に差し入れをくれる。

あるおじさんは、毎日同じナンバー3を200円だけ買いにどんな日もやってくる。

「今日はうちから出てこちらの方角で買うと当たるって言われたの!」という方。

「必ず当たるって言って!」という恐ろしいおば様。(当たらなかったので怒られた。理不尽)

私は地方のよく当たるといわれるお店で販売していたのですが、穏やかな方が多く、日々楽しく過ごしていました。

そんな中でイレギュラーが起こるのが年末ジャンボ宝くじのような大きな行事です。

高額な金額が動く動く。それを一人で管理し銀行に入金しに行く。

ある日、シャッターを閉めた後にドンドンと扉を叩かれビビりまくったんですが、どうしても今日ジャンボが買いたかったそうです(笑)

それだけ活気のあるイベントなのです。

 

換金が始まると地獄

お金がかかわると人は変わります。

年末ジャンボ宝くじなどの時は紙袋をドン!と窓口に置かれることが多々あります。総額数十万。それを換金機に通していきます。

これだけあったら当たったらいいんですけどね…。宝くじはね。そうです。ギャンブルなんです。

すべて末等であったり3千円のこともある。

「え?もう一回調べてや」「すいません。一回換金機を通したので…」

「嘘やろ!このっつうううううう!ブス!!!」

なんて言われることもありました。いい大人の男性から言われたのでびっくりしましたが一人で笑いました。こんなことが多々あります。

換金する前に謎のお祈りを始める人もいました。一人で売り場にいると、様々な人の相手をしながらお客さんの相手をしなければならないので、なかなかハードな事もあります。

売り場には一人なので、すっと手を入れられて持っていかれたら、なんて考えたりもします。

でも基本楽なので体が弱い人にはオススメです。(※現場によるとは思います)

 

高額当選の発表!

天気の良い日にチャリで現れた坊主にしたイカした女子中学生が、やんちゃな笑いを浮かべて、小さく降りたたまれたくじをポケットから取り出しました。

「ねえねえ。お姉ちゃん。このくじ見てくれへん」

「どうしたん?自分未成年やろ。換金してあげれへんで」

「ええねん。とりあえずみてや」

「ええで」

換金機から高額当選音。

「どうやった?」

「ちょっと待って。これ1億円当たってんやん!」

「そうやねん。おとんがくれてん。やっぱ当たってるやろ」

「ここでは換金できひんで。銀行いかんと。しかも自分換金してもらわれへんのんちゃう?」

「そうやねん~。でも確認できてよかったわ。そんじゃ」

彼女はゆらゆらと宝くじ売り場から自転車で立ち去っていきました。

宝くじ売り場の前のタバコ屋へ…。

「自分未成年やろ!」

「…。」

彼女はそのまま警察に見つかってしまいました。

交番も目の前にあるんですよね(笑)

 

コントのような出来事で、彼女の少し青く染めた短い髪が忘れられません。

あの1億円の宝くじを彼女はどうしたのか。

彼女は幸せになったのか、そう考えると少しほっこりした気持ちになります。

 

 

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出
by 株式会社Jizai「転職nendo」

web制作初心者のみんなへ。HTMLの英語なんて読めなくても検索すればいいんですかね?

猫がパソコンに座ろうとしている絵です

猫はパソコンが好き

あ、ホームページってどうやってできてると思います?

パソコンから閲覧している方、マウスを左クリックしてChromeなら「ページのソースを表示」を押してみてください。

f:id:alumi-num:20200329180600p:plain

ハイ!

英語しかありません(笑)

副業でHP作ってみたいって思ってもこの英語の羅列を見てひるんでしまうかもしれません。私も初めて見たときギャーって思いました。

 

実のところ英語は苦手です。会話もできません…。なので外国の人に尋ねられても心とパッションと情熱と誠意を加えて日本語で伝えます。案外伝わります(笑)

そんな私がなぜ制作現場に入って作業ができるのかを書いていければと思います。

こんな制作者がいてもいいじゃないですか。現場の人から見たら嘘やろ?!って思うかもしれませんが、私はディレクターだったので、そこは作業を主体でしていない人間の意見として軽く読んでいただけらばと思います。制作を副業にしたいと思っている方向けの記事になります。

 

 HPを作ってみよう!まずテンプレートから

副業で始めたい人は、初めから本を見て作って挫折するより、はてなブログならHTML編集のところから打ってみたらいいと思います。cssだっていじれますしカスタマイズしてみてください。(このサイトはカスタマイズしながら記事を書いてます。物量をまず増やす!すいません)

今、初心者にWordpressを使ってみようって勧める方がいますが、初心者には難しいです。技術者あるあるでなんですが、コード見ただけで卒倒する人のほうが多いんです。

運用のためクライアントにお教えすることがあるんですが、ほぼ伝わらない。1年後見るとマニュアルからかけ離れた運用されてたりするんですよね。だから私としては無理にする必要はないと思っています。

(ホームページなんて検索率ですから)

 

web制作の仕事をしていると読めなくても内容は理解しないといけない。どういう構造で動いているか。この単語でどういう動きをするか。まずそこから入っていけば何とかなるのではと思います。それこそ簡単なタグ。リストとかそういうところから。勉強するにしても教材通りにみんなが書いてるわけではないんです。

 

文章を書くときに

【渡司はaluminumてす。)(よろしくおねがいします;」】

 

って書かれても「は?」ってなりますよね

なので

「私は、aluminumと申します。どうぞよろしくお願いいします。」

と書けるようになるために内容を理解する必要がある。そういう話です。

「aluminum!\(^_^ ) ( ^_^)/ 

 「aluminumだよ~。まあ仲良くしてよ」

「お初にお目にかかります。私はaluminumと申します。本名も書かずご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。誠に申し訳ございません。今後皆様のお役に立つべく、誠心誠意、邁進いたします。至らない点などございましたら、ご指導のほどよろしくお願いします。」

これでも言いたいことは通じますよね。

そうコードって個性が出るからそれを、読み解くことが大変だったりするんです。

制作された年代によっても個性がでます。長くてうぜ~!しかもページによって、後ろのほうから文体ちがうし!ってことが多々あるので、臨機応変にが鉄則になります。

 

読めなくても文字の形で覚える

制作現場はほぼパソコンと向かい、わからなければ調べる。それで進みます。(私がいた現場ではですが)わからなかったら単語と意味をしっかり調べる。聞けるなら聞く。

聞けない現場は悲惨です。私は保守を数年一人でしてきました。ほぼデザインもコードもライティングも独学です。恐ろしいですね(笑)

意味が分かればコピーしてコードを入れてみる。すぐに確認!また打つ。それを繰り返す。たくさんコードを書いた後に確認となるとケアレスミスを見つけるのに時間がかかる。

そのまま打てる人すごいって思いますが、別に単語を手打ちして間違う恐れがあるなら、個人的にコピーしたほうが効率化につながると思います。

もちろん予測変換は出ますが、私の場合その予測があってるかわからないので検索してそのタグをコピーペースト。

いつまでも現場に立っているわけにもいきませんし、新しいことが出てくるたびに覚えるのは大切ですが、保守とかの場合、古いコードをいじる事が多いです。

なのでどちらも覚えるのは必要ですが、人の記憶はこの英単語のためだけにあるわけではないので、調べられるものは調べて、他の事に考えを割いたほうが確実に早いです。

 

デザインや運用。進め方。スケジュール管理。そうなると初心者の方はblogを始められるとよいかと思います。

やることは山ほどあります。分担できている職場もあると思いますが。私はほぼすべてを行っていたのでここに時間を割くのはやめました( ´∀` )

効率。効率。時間は有限。

 

英語の話でしたね(笑)

翻訳機能はどんどんと発達していきます。それらのアプリケーションを利用し「人に伝える」という事を考えるほうがいいような気がしています。

「一番簡単に伝わる方法を考える」一番難しいですが。

そう考えるとイラストや動画が最強になってきますね。

世界には言語は無数にあるけど「食べるイラスト」一枚あればどこでも伝わる。(元も子もない)

 

アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」

夢は大人が見るモノです。イラスト描いてもいいじゃない

f:id:alumi-num:20200327105810j:plain

 

昔むかし、小さな子どもの頃、勉強をするふりをして絵をかいていました。

別に誰かに褒めてもらうわけでもなく、誰かに見せることもなくチラシの裏などにびっしりと描きまくっていました。お姫様やアニメのヒロイン。様々な設定を考えて夢を見ていました。

机に向かう私を親は勉強をしていると勘違いをしていたのか「まじめ」だと評し机に向かう事を許してくれていました。高校に入って美術部に入ると(部員2人)なぜか画材を買ってくれました。美術の高校は受験させてくれませんでしたが、なぜか絵については優しかったです。

そんな少女が漫画家になりたいと思うのは自然な流れだったと思います。

 

貴方の世界は暗くて怖い

私昔からこういうタッチのへたくそ版で絵をかいていたのにどこに投稿していいのかわからず子どもの頃に愛読していた「なかよし」に投稿しまったんですね(笑)

しかも内容が親から虐待を受けている少年が、小さな白い箱にだれにも見えない棘まみれの芋虫を飼っていて…という話で。

そりゃ暗いわな(笑)それでも明るいものをと思って佳作で当時の金額で数千円くらい何回かいただきました。

でも描いててつらいんですよね。一コマが辛い。

そうやっているうちに持病の潰瘍性大腸炎がどうしようもなくなり、仕事に行く以外は点滴に毎日通い、泣いて過ごすしかなくなってしまった。

 

絵を描かなくなってしまいました。

 

暗くても怖くてもそれが私の世界

それから10年くらい過ぎ、大腸全摘出の手術をした後、体が弱くても机に向かえる仕事としてweb制作に目を付け職業訓練に通いました。

何も知らない私は、こんなに大量のソフトを使わなくてわならない事、技術が必要な事を知りパニックになりましたが、とても楽しい時間でした。

訓練期間の終了が近づけば仕事を見つけなければならない。その時に自分のスキルを見せる「ポートフォリオ」を制作して、私はこんなにできるんです!見てください!ってしないといけないんですよね。私のような自己肯定感がほぼない人間には苦行です。

 

それからは少しラッキーだったのですが職業訓練から職業支援に入れました。そこで半年いろんな人に出会い、「まずは自分で発信する事からはじめたら?」と仲良くしてくださった方にアドバイスをいただき、blogなどを始めました。

www.pasona.co.jp

 

初めは自分のことを話すのも苦痛でしたし、ましてblogを書くなどと…。

悩みに悩んで、自分の最愛の猫の事を書きました。私の心のすべてです。

もう数年間放置してしまって、中身を少しづつ直せば読んでいただけるものかもしれませんが、彼女との思い出にまだ触れることができません。そこまで思い入れが強いblogになりました。勉強には良い機会だったのかもしれませんね。

書けたら、また別の記事にしたいと思います。

 

スキルアップの一環に趣味を掘り下げる

何もないと思っている自分の中で、ほかの人より頑張ったものは何だろうと考えると「絵」しかなかったんですよね。

 だからソフトの練習と言い訳をしてまた絵を描きだしました。楽しかった。

睡眠3時間は当たり前で湿布を何枚も貼って描き続けました。

「絵は趣味です」「音楽は趣味です」そう言わなくてはならない。昔は暗黙の了解でした。でも今は違う。私は胸を張て絵が好きです!

お仕事ください!

絵で暮らしていきたい。

そう胸を張っていいたいと思っています。

男性のイラスト

aluminum2020

 

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出
by 株式会社Jizai「転職nendo」

 

引きこもり男と雇止め寸前女と

数年前のお話です。

いろいろな仕事を難病を抱えて渡り歩いておりました。

病名は潰瘍性大腸炎。私の場合は再燃性が非常に強く十数年もがきました。これは大腸の摘出手術を受けて2年後ぐらいにあった本当の話。

 

地方創生とさまよう若者

その頃の私は35歳くらいで、もう若者ではなかったのですが、HPの制作実績を積むために必死でした。だから胡散臭い地方再生事業に参加してでもキャリアが欲しかったのです。

よくある排他的な街。それが第一印象。

手取り16万円。そこから住居費とかひかれて田舎に買われるわけです(悪いい方ですが)結構どこでも募集していますね。

記事を書いたりHP制作、カーナビをフル活用して取材したり、お店に交渉へ行ったりそんな業務内容です。

もちろんガソリン代の支払いはあってほしいわけですが、経費扱いになる人がいたりない人がいたり。車必須の雇用条件だったのに車を持たない人がいたり。

今思えば無法地帯でした。私も引っ越して1週間で「ここはやばい」と思いましたが引っ越ししてしまっているのでどうしようもなく…。

 

狭い社会なのでIターンUターンの人ともお話しする機会があるんですよね。引っ越してきた理由は様々ですが、都会に疲れただったり、田舎でのんびり農業したいだったり。様々な人がいるはずなのにふわりと漂って固まっていく感じとでも言いましょうか。固まり方もいびつでやはりどこに行ってもコミュニケーションができないと難しい。それを改めて思い知らされました。

右も左もわからない中で私は入ってはいけないコミュニティに入ってしまった。そこからいじめが始まりました(笑)私自身にも問題があって、自我が強いのでいじめにあいやすいんですよね。生きづらいです。

どこにいても、どこから来ても私も周りも日本人なんですよね。

 

地方の引きこもり支援

どこにいても引きこもりにはなるんです。辛いことがこの世には多い。苦しいし、生きずらい。

田舎でも支援センターがあり様々な方が存在している。あるのは知っているが実態はわからない。それが感想。

一軒家に10代から様々な年代の人が、近所に話しに来るかのように笑顔で集まるアットホームな肌感覚を覚えました。

 

正直、私は一瞬で嫉妬しました。

 

私の事をまた少し足しますと、寝る前には毎日死にたいと思っていたし、殺人が起きれば「なぜ殺された人が自分ではないんだろう」なんて思うような希死念慮が強い人間です。でも働かないと生きられない。体が苦しくても働かなければならない。そう親に育てられてきました。そう思って生きてきましたし、ほかに方法があるとさえ思わなかった。

 

そこに認識のずれがあったのだろうと感じます。ほの暗い闇が足元に流れつま先を冷たくしていくのを感じました。

 

また私がここにいる理由も問題でした。地方創生プログラムの一環に携わっている事実作りのため「とりあえず行って」という社長命令だったからです。

 

引きこもりセンターで年齢は変わらない感じの3人の男性を紹介されました。リーダー的な彼が椅子に座りおもむろに口を開きました。

 

「私たちに何をしてくれるんですか」

 

引きこもりの方に私たちは何ができるのか

かなりぶっちゃけた話をしております。やけくそです(笑)

この田舎で私は地方へ流れ着いた若者たちに会いました。心を壊した人。ゲーム依存になってしまった人。私もここに何かの拍子に流れ着いて、職場でいじめを受けていました。

彼らは私の事情なんて知らないですし、この小さな田舎で知らない人たちが寄り添い、助け合いながら自由を求めてあがいているなんてことも知らない。

 それでも私は言わずにはいられなかった。

 

「何をしてくれるではなく、何かできる事を教えてくださいでしょ!」

 

彼らは黙ってしまいました。私のような女に自己紹介そうそう叱られるなって思いもしなかったでしょうから。

新しく田舎に越してきた人たちと何か接点があれば、考え方が変わるきっかけがあったのかもしれません。会っても同じことを言うのかもしれません。答えはすぐそばにあるかもしれないのに交わりそうで交わらない。人の交流って難しい。

 

それから私は数か月で実家に戻りました。その短い間にエンジェル投資家とあったり、企業セミナーに参加したり、地方議員とやりあったり(笑)濃密で忘れられない仕事でした。

 

今でも彼らの言葉が耳のそばでささやくことがある。

 

「私たちに何をしてくれるんですか」

 

 

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出
by 株式会社Jizai「転職nendo」