生きとし生けるモノ

感想を自分の言葉でかいています。

親はただの人間でも、友達でもない

ちゃんと漫画とか描けばいいんですけど、やる気が無くて文章で。

 

年長者は敬わなはければならないって、古代中国の思想家の孔子孟子によって生まれた思想だったような気がする。詳しくは知らない。

 

親は子を産んでも食糧難で育てられなければ捨てられるし、性的道具にもされる。

それは今でもあまり変わらない。

 

最近あった日本の裁判では現代でも性的虐待をしても一審は無罪だった。friday.kodansha.co.jp

海外で起こった性的虐待ではまだ決着がついていない。

私は殺された父親よりもこの3姉妹がどんな思いで生きてきて犯行に及んだのかを思うと胸が痛い。

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昔地下室に閉じ込め続けられた子供たちの事件もあった。虐待する親は今も何ら変わらず、すぐそばに存在する。

親はただの人間

このお題でいえば、子供に当たるのは10代の少年少女を育てる30代、40代のことになるのだろうか。

私はちょうど40代で同年代の父は、どんなだっただろう。

どの時代の父も飲んだくれて罵倒しまくって、すべての理不尽を子どもにぶつけていた記憶しかない。彼が自殺するまでそれは全く変わらなかった。

 

今週のお題「お父さん」

 

とても柔らかい表現だが、優しい思い出を思い出せない人間もいる。ひどく酷なお題だ。

それでも私にとって一番優しい記憶は何だろうと探すと。一つだけある。

ただ一つ。

 

小さな木造住宅に住んでいた小学生の頃。

トイレと台所が隣接するような古い古い木造住宅。

夜中にトイレに向かう私は酒を飲みに来たのか、水を飲みに来たのか、父親とすれ違った。

その瞬間いきなり父が私の頭に手を乗せて「早く寝ろよ」といった。

それだけだ。

私は小さな体を震わせて泣いた。その時はなぜ涙が出たのか、その感情が何だったのか思い出せない。だが今でもあの手の大きさと、夏の夜のむわりとした熱気を鮮明に覚えているし、私の頭はあの頃よりもずいぶんと大きくなったとは思うが、同じ大きさで私の頭にその感触を残す。

 

先に伝えたが、父は自殺した。

深くは書かないが、今でもあの時の感触を思い出す。

優しい文章が書ければいいのだが、私にはあまりそういう記憶がない。

不快な人生で申し訳ない。これは私のリアルなのでというしかない。

 

ただ私は良く父に似ている。

酒は飲まないし、たばこも吸わない。ギャンブルも私はしない。

 

だが、「孤独であった」その点では哀れなほど似ている。

だが意見は全く合わなかった。

 

「世の中には絶対はあるんだ!」そう言い張る父に「言葉の意味合いだけでその絶対は意味を変えるんやで。お父さんの絶対って何なん?0か1かの話なん?」

なんて話をしたこともある。かわいくない高校生だった。愛読書は、八木重吉でいろんな宗教の本を読んでいて、時間があるときは絵を描いているような変わった子どもだった。

よくある中二病だ。私は空想の中で遊んで逃げ回った。

父には逃げ道が酒しかなかった。それは最期まで変わらなかった。

もう何年もたつので、夢で恨み言を言いに出てくる父親を「お前は死んでまで私の前に出てくるのか!何度でも何度でも殺してやる!」という夢も見なくなった。

 

救いようのない話。

今でも救いようのないこの世界で、もがいている子どもや幼いころの記憶で苦しんでいる人間がたくさんいる。これを夢物語と思う人にこんな真実があることを知ってほしい。

 

父はただただ孤独で、家族を抱えた、一人の友達も趣味もない酒を飲むことでしか現実から逃げることができなかったただの人間だった。

でもそんな父だが一つこだわりがあった。自分の家族だ。

私たちではなく、自分の親兄弟だ。でも彼らは父から搾取するだけで、困っている父を助けることは一切なかった。

 

私は、猫や文章、創作に逃げるしかない孤独な人間だ。

数人いた家族の中で、1人だけ私を心配してくれる人間を彼は残してくれた。

だからそれだけは

父に感謝をしている。

 

 それが今残る父とのつながりだ