生きとし生けるモノ

感想を自分の言葉でかいています。

自粛と制裁と生き方

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偉い人達と庶民の距離感

今私たちは大きな考え方の転換を求められています。

人は社会は日本は世界は。

くしくも新型コロナウイルス感染症によって、病や貧困、様々な事が他人事だったのに急に身近に感じ始めた人が多いのではないでしょうか。マスクの買い占め、トイレットペーパーの買い占め、外出の自粛。まだ解決策のわかっていないコロナですがどうやらまだいつ終息するかも、何もわかっていないようです。後遺症が残るなんて話もチラホラ聞くようになりました。

遅すぎる日本の自粛

東京でも食料品の買い占めが始まりましたね。

そして志村ケンさんも発症して話題になっています。早く良くなってほしいです。

恐ろしいことですが、Twitter界隈では2月あたまから「病院では見てもらえません!」「イベントはやめろでも仕事には行けってさすが社畜」なんて流れていましたが、自分から言い出せないですよね。きっと今でも「微熱があるので」って言ってもそのぐらいなら出社しろっていわれるんじゃないでしょうか。

その人がもし感染していたら、ひどい扱いをされるんじゃないでしょうか。

「お前のせいで大損害だ!」って。いわれないまでも陰口は必ず叩かれます(笑)

 

ー豆知識ー

会社でコロナで休みと言われたら

「私は出社したいのですが会社命令ですよね」

と聞いてください。一筆書いてもらったほうがいいですよ。有休扱いにならない以上に雇止めになる恐れもあるそうです。日本って本当に怖いですね。

www.fnn.jp

無知による制裁

コロナウイルスが話題になり始めて何か月になりますか?

 2019年11月だそうです。

ja.wikipedia.org

 

もう武漢で発見されて4か月です。世界中に感染者があふれる状態になってしまいました。日本には感染者が少ないなんて言われていますが、私は検査をしていないだけでもっとたくさんの方がいると思ています。

ようやく本気で騒ぎ出した感じですよね。まだ終息しないというならどこまで続くのでしょうか。終わらない苦しみは人を凶暴にします。お金が絡むと如実に現れますよね。

疑いという制裁は集団心理によって冗長されます。海外ではレイプ犯を集団で殴り殺すなんてことも行われました。私は女性なので、どちらの立場であってもいたたましい出来事ですが、日本ではまだ起きないでしょう。女性の立場は弱いですから。

話がそれました。

日本人の行う制裁。

それは社会的に排除することです。心を追い詰めこんな事は初めからなかったことにする事が得意です。

陰湿ですよね(笑)でもそれを行う当事者もされる側も明日は我が身であるという事にだれも気付いていない。

そこが一番恐ろしいところです。

私は寄り添えるのか。大切な人なら全力で守りたい。でも職場の人が感染したらどうでしょう。きっと「ナカッタモノ」にしてしまう。

 

自己責任の社会で生きてきてしまいました。私はまだ恐ろしい考えを頭の60%を占めてしまっている。本音を言えば守られたいけどしっかり守ることのできる人間になりたい。一人ひとりの生き方が今試されているのでしょう。

私は変わりたい。

貴方はどうですか?

 

知らない他人に「生きて」というのは無責任なのか

結構ヘビーな話題を書いていきます。

後で簡単な漫画に落としていけたらいいなって思っています。

私の文章でも少しでも伝わればいいんですけど、漫画のほうがわかりやすいかなって思います。

ふとしたところに「死にたい」はあふれている

私はアニメが好きなので、Abema動画サイトのコメント欄やニコニコ動画その他のサイトでアニメを見る際はコメントを表示しながら閲覧します。

素直にコメントしている人もいれば、アニメに応じて政治的なことやエロいことを連投している人もいます。そのアニメには全く関係ないんですが、「このアニメを見ながらこんなことを考えているのか」ってちょっとその先に「人間」を感じるんですよね。

そしてそこに「こんな幸せな世界なんてない。死にたい」「毎日死にたい」なんて言葉がふと現れることがある。

ほぼスルーされるのですが、私は「生きろよ」「明日も見ろよ」とか入れることにしています。その言葉に対して何か影響力があるわけではないし、私の自己満足でしかないのですが、いてもたってもいられず、必ず入れることにしています。

 

YouTubeで10代の子どもが死ぬなよと訴える社会

誰でも訴えることができる社会です。


【少年革命家】ゆたぼんの人生設計をしてみた!【どうやって生計立てる?】

 

とってもしっかりしている少年たちだと思います。

キメラゴン君は中学生なのにすごいなって思うし、ゆたぼんくんもなんだか危うい感じがするんだけど頑張ってほしい。こういう子がいるのは知っていたんですが動画で初めて見ました。この動画で最後に彼が「死んだらあかん」っていうんですよ。

泣きそうになりました。誰かにプロデュースされているのかもしれないけれど、小学生に「死んだらあかん」っという言葉を全世界に発信させてしまう世の中ってどうなんだろうって。

年配の人がいろいろ経験をしてきて「人生生きていたら何とかなる。死んだらあかん」って言葉より私自身は子供に『死を連想する言葉』を言わせることに恐怖を感じます。

生きていれば死を感じ、他人に簡単に貶められることなんて山ほどある。

でも、彼らは10代でそこにたどり着いてしまった。

今の世界に絶望があふれていることを知っていて、それを受け入れ生きる術を模索している。10代でも40代でも生き方を模索していかなくてはならない世界。

 

自分を守り生きることの知恵を得る

頑張ってどこかに就職して、嫌なことを受け入れて与えられた事以上のことをしても気に入られなければ理不尽な理由で廃棄される。

それは学校の中でも同じで、強いグループや先生に気に入られなければ排除される。

 

「そこから逃げろ」

「いやならやめればいい」

 

そう簡単なアドバイスで片づけられていた。自分を守るためにはそれがいいと。

だけど排除を受け入れれば、また次の場所でも排除されたら逃げるしか選択肢を知らない人間になってしまう。

 

まず逃げるとは何だろう。

逃亡(とうぼう)とは、束縛義務などから逃げ、身を隠すこと。

私たちは悪いことをしたのだろうか。いじめられれれば身を隠さなければならないのだろうか。今まで「逃げる」事で身を守れと教えられてきた。だから「声を発する事」が苦手になってしまったのではないか。

 

だから私は理不尽な理由で殴られたら殴り返すし、「あなたは間違っている!」といえる人間になりたい。それでも何も変わらないなら、警察でも弁護士でも依頼すればいい。そのために彼らはいるのだから。殴る人は自分より弱いから殴るんです。自分より強い人には逆らわない。だからいっぱい利用すればいい。

 

だって私たちは自分が逃げなくてはならないようなことはしていない。

 

自分の意思をあきらめないで

「生きてほしい」そうモニター越しに顔の見えない人に対して投げる。

それはその人なりのSOSなのかもしれないし、気軽に入れた言葉なのかもしれない。だけど一部にふと漏れた心の澱なのかもしれない。

だからこの言葉を入れる「生きてほしい」「死ぬな!」立ち向かえない絶望もまた受け入れて戦わなければ生きられない。だから私の「生きて」は「戦え」なのです。

逃げる先に戦いがある。今いる社会の中に居続けるにしてもそれは戦いなのではないか。

 

 私の好きな漫画に「ドリフターズ」というのがあります。

その中の島津豊久の名言なんですが、この言葉を思い出してしまうんです。

叩く時は追うて追うて根まで叩かねば駄目じゃ。

叩いたら叩いて潰せち教わった。

親父殿もおじ上殿も、もう一人のおじ上ももう一人のおじ上も、おじい様もおじい様もひいじい様も言うておった。

ドリフターズ第2巻96Pより

 

過激です。

でもどこで戦うか。生きるのは戦い。死のその先には終わり。だけど私は「戦え」と言い続けたい。「生きろ」「死ぬな」「戦え」

いつから私たちが生きる世界は子供から大人まで命を懸けて戦わなくてはならなくなったんでしょうかね。

日本は「平和」だったはずなのに。

 

 

落ち込む経済と独身女と

いやはや、えらい時代になりました。

自分で生きるのに精いっぱいなのにコロナウイルスやらズタボロ政治。
私、氷河期真っただ中、学歴なし、配偶者なし、頼れる親もなし。
加えて労働問題あり…。なんだこれって感じの人生です。

それでも生きなくてはならない。加えて愛しのお猫様に何の苦労もさせてはならない。
という2大使命をまっとうすべく奮闘しております。

生き続けるかぎりこれは続くのです。

誰かに頼る人生はやめよう


独身を長く続けていると老いるごとに、頑なになっていきます。つらくてどうしようもない時が数多くある。
どうしたらいいんだろう。誰か助けてよ。こんなに苦しいんだよ。うずくまって動けなくなる。そんな日が40数年続きました(長!)。その中で出した答えが頼ることでした。

親族に頼る それぞれの生活で精いっぱい。だから言えない。

友人に頼る いない(笑)

恋人を作る 人間苦手

仕事人間になる 就活するも連敗

こんな時に口ずさむのが

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなの嫌だ 
何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終る そんなの嫌だ    
 By やなせたかし

 

そして号泣するのです。
溶けたスライムのようにめそめそ泣いて、泣いていても仕方ないだからと必死に自分を奮い立たせ、TwitterYouTube、ブログにむしゃぶりついてヒントを探しました。

私は就職にこだわっていました。だってまともな所に入ったことが無いんだもの。しかも世の中の半分は正社員なんだもの。頑張ればなれるって思うじゃない。
でも私を誰も必要としてくれないんですよ。なぜ?なぜ私を必要としてくれないの?!こんなに頑張ってるじゃない!家事も仕事も節約だってできるのに!家賃と光熱費除いて今月は4万で生きてきたのよ!すごいでしょ!あ!訴えがずれたわね。
なぜあなたは私を必要としてくれないの?!ひどいわ!そうね!私がBBAだからででしょ!でももう若くはなれないの、いっぱい尽くすし、BBAなりのテクだってあるのよ。だから私を必要として!

ああぁぁなんて悲しい。私… わ… あれ?
捨てられかけた女が相手に追いすがってるだけじゃね?って。気づいちゃったんですよ(笑)

私は基本的に誰にも相談せずにすべて決めます。(相談する人がいない…)あれだけ人に頼るの嫌だって思っていたのに、就職したいっていうのも結局企業に頼ろうとしてるんじゃないの?って思うようになりました。

よし!企業だ!そう思い立って一時就活を辞めました。
あと何年生きるのかわからないのに、このまま自分を殺して、好きでもない誰か何かのために生きるのって自分は幸せなのかな?
これから世の中は今のままだともっとおかしくなっていくし、いろんなものに気づく人と気づかない人が出てくる。様々な格差が広がっていく。お金と心、愛するモノ。重要なものがないまま擦り切れて殺されていく。
すべてを疑うのはもしかしたら仕方がないのかもしれない。他人から受け入れられないのは仕方がないのかもしれない。救い出そうとしている人の手も疑ってしまう世の中だからさ。でもどんなに切り離しても自分は切り離せない。だって自分を切り離すということはすべてが無くなるということだから。

就職しなくても生きれらる


今の時代、ニートだってお金は稼げる。不用品を売る。自分で作ったものを売る。少額の投資だってできる。なぜ誰かに雇ってもらう前提でいる世の中に併合する必要があったのだろう。いらないものは容易に捨てられる。それは人も同じ。捨てるほうは気にも留めないが捨てられるとつらい。だって追いすがっちゃうくらい悲しいし不安なんだもの。
でもさ。ものすごくみじめじゃない?

だったら自分で管理してスキルを上げて生きていったほうがいい。そこで人が足りなくなったら、誰かを雇えばいい。決して自分がされてきたことはしない。だって悲しいんだもの。こんな思い誰もしてほしくないじゃない。今の世界を作った上の世代の人たちとは別の道を歩みたい。ちゃんと人を大事にする人間になりたい。それは自分たちから始めるしかない。荒野を眺めていたって仕方がない。耕していかなくては。
まず自分が生きる分の生活を整える。それからお隣さんにおすそ分けをして笑い合える方がずっと幸せだよ。だからそうするんだ。人間は怖いけど、それでも協力していかなくては荒野は耕せない。独身金なし女に何ができるのかわからないけど、できることから始めます。
私のような人がいたら一緒に頑張ろう。学んだことや考え方、ここに書いていくから、できることから始めよう。
頑張るって言葉が嫌いな人もいるだろうけど、前に進むためには頑張るしかない。
だからね。

立ち上がろうよ。
私たちはもう痛みを受け入れない!
自分たちで立ち上がろう、立ち上がって傷つくのは仕方がないけど、縋りついて動けないから傷つけられる事を受け入れるなんて事を受け入れるのはやめよう。

なんて声明をしてみたりする。